はじめまして。
「心・脳・体」を整えて幸せに生きる
幸せのトライアングル・メソッド
心理カウンセラーの 宙(そら)みほ です。
不安症・パニック障害・自律神経失調症・原因不明の体調不良といったご自身の不調、
親・夫婦・子ども・職場などの人間関係のお悩みまで、幅広く寄り添ったサポートを行っています。
私は幼少期、母に甘えられず、人の顔色をうかがいながら自分の心に蓋をして生きてきました。
その結果、25年間にもわたる体調不良に苦しみ、夫婦関係もすれ違い、どん底の時期を経験。
しかし、心理学やカウンセリングに出会い、心と体が回復、人生の流れが大きく変わりました。
20代の頃よりも、50代の今の方がずっと元気で幸せです。
そんな私がどのようにここまで歩んできたのか、このページでは、その変化の道のりをご紹介します。
私の経験が、どなたかの生きるヒントになれば嬉しいです。
目次
- お母さんのために いい子を演じた子ども時代
- 他人軸で生き続け、身体が悲鳴をあげはじめる
- 「こんなお母さんで、ごめん」 動かない身体、不安で一杯の子育て
- 夫との心の距離 誰にも頼れない孤独感と悪化する病
- 不調を乗り越え、希望があると思った先に・・・
- 孤独と限界に追い詰められ、離婚を決意
- カウンセリングとの出会い 心と身体が解き放たれた瞬間
- 「心・脳・体」を整え善循環を生み出す“幸せのトライアングル”
- 1人で抱え込まないでください
「お母さんのために」
いい子を演じた子ども時代

私は祖父、両親、兄、妹の6人家族で育ちました。
祖父が家の中心にいる家庭で、親戚19人の大所帯になることもあり、幼い私は、その賑やかな環境を楽しんでいました。
しかし、成長するにつれて母の表情がいつもと違うことに気づきます。
親戚が集まるたび、母は長男の嫁として、一人で台所に立ち、皆の世話役にまわります。
誰もその姿に気づかず、楽しそうな声が響く中で母だけが黙々と動き続ける、そんな光景が幼い私には悲しく見えました。
母を助けたくてお手伝いをしても、「いいから向こうで遊んでいなさい」と遠ざけられ、その優しさがかえって無力感となって残りました・・・
母は仕事、家事、育児、介護に追われてましたが、決して弱音を吐きません。
そんな母の姿を見ていた私は、少しでも負担をかけないよう、自分の気持ちを抑え、我慢強い子になっていきます。
学校のことで悩んでいても、母から「今は忙しいから」と言われたら、悲しいと思うより「ワガママ言っちゃいけない」と自分を戒めます。
母を助けたい、褒められたい、愛されたいの一心だったと思います。
他人軸で生き続け、身体が悲鳴をあげはじめる

母の様子を気にしながら育った私は、成長と共に場の空気を読むことが得意になっていきました。
相手の表情や言葉の裏を先読みし、相手が望むことをしてあげるのが人間関係と信じ込み、自己犠牲・他人軸が私の生き方となりました。
その無自覚の苦しさを身体が先に感じ始めたのかもしれません。
10代半ば、1つの怪我をきっかけに、膝痛や腰痛、倦怠感に襲われ、日常生活を送るだけで精一杯になります。
病院で検査をしても、怪我は完治しており、他に異常は見つからず。
周りの友人が青春・仕事と人生を謳歌する姿を横目に
「私の身体はどうなってしまったの?」と戸惑いと悲しみがおそいます。
その頃から、強い不安や恐怖が常に付きまとい、更に体調が悪くなるといった悪循環がはじまりました。
「こんなお母さんで、ごめん」
動かない身体、不安で一杯の子育て

25歳で結婚し、二人の子どもに恵まれました。
子ども好きの私は幸せを感じますが、身体の不調と強い不安を抱えながらの家事育児は、想像以上に過酷なものでした。
最低限の家事と育児を終えると、身体はまるで時限爆弾を抱えているかのように動かなくなります。
泣いている娘を抱き上げることさえできない自分が情けなくて、悔しくてたまりません。
そして阪神淡路大震災
家が半壊したあの日、私は寝起きの身体を動かすことができず、生後7か月の娘を瞬時に守ることができませんでした。
幸いにも娘は無事でしたが、母親としての無力さ、惨めさ、深い悲しみは、今も胸に焼きついています。
長女が幼稚園に上がる頃からの約5年間、私は歩くことも難しいほど体調を崩していきました。
外で親子が声を弾ませ並んで歩く姿を見かけるたびに、涙がこみあげてきます。
「車椅子でもいいから、お母さんと一緒に遊びに行きたい」
娘たちの愛情に救われながらも、「こんなお母さんでゴメン」と思わずにはいられませんでした。
夫との心の距離
誰にも頼れない孤独感と悪化する病

生活の中で頼れるのは夫だけでしたが、彼は自分のルールを決して崩さない上に、極度の潔癖症でした。
子どもとの触れ合いも少なく、子守りを頼んで外出しても、帰ればオムツはぐっしょり。
子どもが「パパー」と抱きついた時でさえ、夫は反射的によけてしまい、子どもが大泣きすることもありました。
私が体の不調に苦しみながら家事と育児を必死にこなしていても、寄り添う言葉も態度もありません。
子どもの頃、母に甘えられずに育った私には「理想の家族」への強い憧れがあり、二人三脚で支え合う夫婦を期待していたからこそ、現実とのギャップに心が揺さぶられました。
「なんで分かってくれないの?」
話しが全く通じない夫に対して感情的になる私。
存在を無視されているようで心の距離はどんどんと離れ、1人でいるよりも夫といる方がよっぽど孤独でした。
追い詰められていく中、私は自律神経失調症はじめ、不安障害・強迫性障害と心身ともに更に症状が悪化。
ですが、実家の父母にさえ「心配をかけてはいけない」と思い、誰にも助けを求められない状況が何年も続きました。
不調を乗り越え、希望があると思った先に・・・

「誰も頼りにできないのなら、自分でどうにかするしかない」
そう強く思った私は、あらゆる治療法を試していきました。
そして、やっと出会った整体技術によって20年以上苦しんだ体の不調が劇的に改善していったのです。
10代の頃から生きてるだけで精一杯だった私が、再び日常生活を送れる身体を取り戻した感動は今でも忘れません。
「身体を整えることで人生も変わる」
そう確信した私は、自らその技術を学び、整体師としての道を歩み始めました。
元々、人との交流が好きな私は、患者さんのサポートをすることが生きがいとなり、心も前向きになっていきました。
「あなたのおかげで元気になった」
そんな患者さんの言葉を励みに、元気を取り戻した体で精一杯働き、当時の私は希望に満ちあふれていました。
けれど――
身体を整え、仕事がうまくいっても、根本は変わらない・・・
そのことに気づくまで、そう時間はかかりませんでした。
孤独と限界に追い詰められ離婚を決意

幼少期、母に笑って欲しかった私は、つらくても笑顔を絶やさない母であろうと思っていました。
しかし今振り返ると、「しっかり育てなければ」という思いが強くなり、過干渉な母になっていたと思います。
「こうしたらいいよ」「それはだめ」
気づけば、自分の正義や価値観を子どもに押しつけ、子どもの持つ個性を窮屈にしてしまう母になっていたのです。
やがて、日常の中で、子どもの自己肯定感の低さや不安の強さが気になるようになります。
そのことを夫に相談しても、相変わらず我関せずの態度で、自分のことばかり・・・
「結婚している意味ある? 子どものこと、愛してる?」
夫と関わるほど虚しさに襲われ、話すことさえ避けるようになり、夫婦の空気は険悪そのものでした。
子ども達はその険悪さを肌で感じ、私たちに気を遣い、家族の歯車はどんどん狂っていきます。
そんな中、義母が認知症を発症。
整体師としての仕事、家事、育児で手一杯だった私に、介護がのしかかり、再び体調不良に襲われ、不安感が増すように・・・
それでも夫は、私だけでなく、助けを求める実の親にすら無関心のままだったのです。
そして、ある夜、私は突然パニック発作に襲われました。
動悸と息苦しさ、不安や恐怖感で「死ぬかもしれない」と本気で思いました。
「子供のために死ねない」とあがけばあがくほど、苦しさは増すのです・・・
「もう、これ以上は無理。壊れてしまう」
涙があふれ、心の中でそう呟いた瞬間、私は自分の限界を悟りました。
私は自分の心を守り、子ども達と向き合うため、夫と離婚。
自分を立て直す為にカウンセリングを受けることを決めました。
カウンセリングとの出会い
心と身体が解き放たれた瞬間

初めて受けたカウンセリングは、緊張と同時に心が解き放たれるような体験でした。
子どもの頃から誰にも弱音を吐けなかった私が、初めて自分の弱さや悲しみを人に打ち明けられたのです。
カウンセリングでは、夫婦の話しだけでなく、その根本にある不安や恐怖、深い悲しみまでを丁寧に紐解いてもらえます。
子供の頃、本音を隠しいい子を生きてきたけれど、本当は甘えたかった、助けて欲しかった。
身体が動かなくなる私の不安を、誰かに受け止めて欲しかった。
妻として母として精一杯頑張ってきたけれど、本当はつらかった。
夫と支え合いながら子どもを育て、笑い合える家庭を築きたかった。
安心できる場で本当の気持ちを受けとめてもらうことは、私に深い癒しをもたらしました。
また、カウンセリングではただ話を聴いてもらうだけでなく、心理療法にも取り組みました。
その過程で、私の生きづらかった思考パターンに変化が起き、言動も少しずつ変わっていったのです。
今では、元夫とも円満な関係を築き、成人した子ども達を含めた4人での交流も頻繁です。
個性豊かな家族が集い、笑いがあふれる食事会は、私の何よりの楽しみになっています。
心身ともに自由になり、大切な人たちに囲まれ、20代の頃よりも50代の今の方が元気です。
「心・脳・体」を整える
“幸せのトライアングルメソッド”

私は整体師として人の心と身体の強いつながりを実感してきましたが、心理学はじめ多方面からの学びにより「心・脳・体」の関係性を強く意識するようになりました。
人間は「心・脳・体」が一つのシステムとして、互いに影響し合っています。
どれか一つを無理に変えようとしても長く続かず、3つをバランスよく整えることで良い循環が生まれます。
そのメカニズムを知ることが幸せに生きる鍵であることをカウンセリングの臨床でも強く実感。
私はこの3方向の善循環を「幸せのトライアングル」と呼び、以下の3つのアプローチするメソッドを考案し、皆様をサポートしています。
心: 心理学やカウンセリングで、感情や内面を整えます。
脳: 脳科学やコーチングで、考え方や習慣を変えます。
体: 整体の経験をもとに、身体の緊張や不調をケアします。
1人で抱え込まないでください

私自身が長い間、心身の不調を抱えながらも、1人で頑張り続けました。
その方向性は完全に間違っていて、まさに戦士のように自分を奮い立たせて生きていたのです。
しかし、
体を整え、カウンセリングに出会い心を解放したことで、自分軸を取り戻し、長く続いた生きづらさは自然に和らいでいきました。
現在はカウンセラーとして心・脳・体を整える 幸せのトライアングルメソッドを考案。
不安症・パニック障害・自律神経失調症・原因不明の体調不良といったご自身の不調、
親・夫婦・子ども・職場などの人間関係のお悩みまで、幅広く寄り添ったサポートを行っています。
もしあなたが今、生きづらさを抱え、一人で悩んでいるならば、私の幸せのトライアングルメソッドを受けてみませんか?
小さな一歩を踏み出すことで、今とは何かが確かに変わります。
その一歩を後押しするために、私もあなたの力になりたいと心から願っています。
